2011.4.19(月暦:三月十七日) |
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東日本大震災について(津波とタイダル・ボア) |
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2011.4.19(月暦:三月十七日) |
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東日本大震災について(津波とタイダル・ボア)
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潮汐波の項を作成中、東日本大震災が起こってしまいました。
潮汐波でも特にタイダル・ボアと呼ばれるアマゾンのポロロッカとか、中国銭塘江の海嘯を通して津波についても書いてみようと考えていました。
というのも、1993年7月12日午後10時17分、マグニチュード7.8の大地震(北海道南西沖地震)に見舞われ、その3分から5分後という、かつてない速さで津波に襲われた奥尻島は、一瞬にして数百棟の家と200人以上の人命を失いました。奥尻島の各地区における津波の高さ(波高)は、稲穂地区で8.5m、奥尻地区で3.5m、初松前地区では16.8mに達したとの記録もあり、島の西側の藻内地区には、最大遡上高30メートル超という、とてつもなく大きな波が来ました。
巨大津波が起こる原因は後述しますが、この奥尻島の津波から私たちは大きな教訓を得たはずでした。しかし、この教訓は、どうしても活かされているとは思えない経緯が続きました。
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2011.2.14(月暦:正月十四日) |
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「朝日新聞」の連載小説「青銭大名」(東郷隆著)と三日月
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「朝日新聞」の連載小説「青銭大名」(東郷隆著)に、月は遠くになりにけりという象徴的な誤記があったようなのです。
早速朝日新聞の当該紙(2011年1月18日夕刊)を取り寄せて読ませていただきました。
そのくだりは、
ぼんやりしていると、やがて東山のあたりから三日月が出た
京都市内からみて東山のあたりに三日月が出るはずがありません。
作者はどうも月の位置関係をあまり理解していないようです。三日月とは、日没前後から西の空に浮かび、太陽を追うように沈んでいく月なのです。三日月が東に出ることはあり得ないことです。
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2010.7.12(月暦:六月朔日) |
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劇作家つかこうへい氏逝去に絶句!
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学生時代、演劇の面白さを教えてくれたつかこうへい氏・本名金峰雄(キム・ボンウン)が肺ガンのため62歳の若さで千葉県鴨川市の病院で逝った(2010年7月10日・10時55分)。
4月井上ひさし氏が亡くなったばかりだ。私の70年代の巨匠をまた一人失った悲しみは計り知れない。
当時、つか氏はライブ感を大切にしていて、きっちりとした台本はなかったと記憶している(口立て)。役者がセリフをいい、つかえたりするとそのセリフは即座に捨ててしまうという徹底振りだった。計算された言葉より生身の言葉を大切にした劇作家・演出家だったように思う。
出会いは「初級革命講座 飛龍伝」、その後「ストリッパー物語」、「熱海殺人事件」「蒲田行進曲」など多くの舞台に触れた。
スリルに満ちあふれた「つかワールド」の早すぎる緞帳だった。 |
2010.4.13(月暦:二月二十九日) |
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作家井上ひさし氏逝去を惜しむ
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尊敬する作家の井上ひさし氏が2010年4月9日、肺ガンのため逝去した。残念でならない。1970年代半ば、劇作家としての作家井上ひさし氏と出会った。軽快なセリフのリズムに酔い、それでいてひとこと一言に深い思索のあとを伺わせる。稀代の作家を失った虚脱感に襲われた。
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに」。私の筆力、思考力、知識力では叶わぬことながら、この井上ひさし氏の言葉は私の胸に深く刻まれた言葉だ。
40年来の友人であったという哲学者の梅原猛さんは読売新聞夕刊(2010.4.12)に「ユーモアととぼけたペーソス漂う軟らかい表現で厳しい体制批判、社会批判を行うという、日本に例のなかった独特の喜劇のかたちを創出した」と談話を寄せていたが、作家井上ひさし、というより人間井上ひさしを思わせる談話だ。
ご冥福をお祈り申し上げます。 |
2010.4.12(月暦:二月二十八日) |
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2010年のエイプリルフールには驚いた。
実は当サイトのエイプリルフールを特集したページに3月30日ごろから4月2日にかけて桁違いのアクセスがあったのだ。感謝に堪えない。
気ままに日記風に記してきたこのエイプリルフール特集記事を近く、「エイプリルフール考」とまとめることも必要かな、と思い始めた。
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2009.10.24(月暦:九月七日) |
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当サイトでは、2006年6月頃から阿波踊りの篠笛の音を採譜して、その譜面を公開していました(公開の意図は「2006.3.26」に掲載)。より充実させようと、藍吹雪さんや天水連さんなど有名連の音源なども参考にして採譜を繰り返し、数字譜も併記するなど改良を加えてきました(2009年3月ごろから)。
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2009.10.8(月暦:八月二十日) |
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今年は、46年振りに日本で皆既日蝕が観測され、月を改めて意識する年となった。
これほど暗くなるとは思わなかった。
すーっと気温が下がったのには驚いた。
周りは真っ暗なのに、地平線や水平線を見るとオレンジのグラデーションが夕焼けのようで感動した。
などなど、多くの言葉を聞くことができた。
人類の近代化に伴い、意識の彼方に押しやられた感がある「月」ではあるが、古人が紡いできた<月の文化>は、私たちに忘れかけていた多くの感性や文化があったことを思い出させてくれます。
「月と季節の暦」も来年2010年版制作も一段落し、発売を待つところまできた。月というもう一つの時間軸は、私たちの生活に心の豊かさを実感させてくれるはずです。 |
2009.7.22(月暦:六月一日) |
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皆既日食が与えたもの
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日本で見られるものとしては46年振りの天体ショー、皆既日食。テレビやインターネットでも十分に感動が伝わってきた。
皆既日食の特等席の悪石島ではあいにくの天気ではあったが皆既日食が始まると、周囲が漆黒の闇に包まれたという。それはそれで、貴重な感覚であったといい、計り知れない感動を覚えたという。
見られたのは洋上で観測した人たち、そして小笠原諸島の硫黄島。あたりが星が見えるほど真っ暗になり、気温も数度下がるということまでは考えていたことだが、地平線や水平線がオレンジのグラデーションのように見える映像は想像していなかった。観測に立ち会った人たちの感動は計り知れないものがあったに違いない。
やはり、自然が織りなす現象は、人間の五感を刺激し、思いも及ばない感動を与えるものなのだ、と改めて知らされた。
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2009.5.26(月暦:五月三日) |
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老舗と社名、「厳松堂」か「巌松堂」か・・・
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当社の創業は明治34年に遡る。当時の社名は「巌松堂書店(がんしょうどうしょてん)」。その後、紆余曲折を経て、巌松堂出版としてかろうじて現在に至っている。しかし、この「厳(がん)」を説明するのに苦労がたえない。「厳窟王の巌」とか、「いわおの巌」「巌は、山かんむり(やまへん)に厳しいと書きます」などなど。それでも「巌松堂出版」は「厳松堂出版とか岩松堂出版」などと書かれることがしばしだ。
そもそも難読社名をもつ出版社はなぜか多い。出版社の場合、社名変更はデメリットが大きいというのが一般的な意見だ。本は発行者の名前と共に後世に残るからか・・・
難読社名は有利か不利かの問題は、そんなに単純ではない。難読社名は一度覚えてもらえれば忘れにくいといわれることもある。確かにそうではあるが、昨今はホームページなどで検索される機会も多くなり、難読漢字や勘違いされやすい漢字を持つ会社は簡単に検索にひっからからず不利とも言われる。
当社は、出版業のみならず、広告や制作、デザイン関係の業務もしているので、この難読社名は頭痛の種でもある。専門出版社として多くの実績を残してはきたが、その頃を知る学者や読者は少なくなってきた。それでも百年以上も続いてきた社名で、なんとかその名を残したいとの思いも強いので、今のところ社名変更の予定はない。
ネット社会の浸透の中でもがく今日この頃である。
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2009.4.2(月暦:三月七日) |
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今年のエイプリルフールいかがでしたか?エイプリルフールといえば、あんなに頑張っていた東京新聞が止めた? 余りにもひどい現実の嘘に嫌気がさし、心温まるウソのような本当の話を紹介することにしたというものらしい。朝一番、売店で求めた東京新聞を手にいつもの特派員便りを読むが、どうも勝手が違って肩すかしということに相成った。
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2009.3.26(月暦・二月三十日) |
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当サイトでは、阿波踊りの篠笛の譜面を公開していますが、元来阿波踊りのお囃子は耳で、体で覚えるもので譜面化などは邪道という考え方が根強い。たしかに、これほど全国区の阿波踊りでも、譜面を公開しているという連の話は聞いたことがない。
阿波踊りが持つ、浮きのリズムとか、独特の「間」を持つ和の世界に、普遍性をもった譜面はなじまない。伝承方法としてはピーヒャラピーヒャラなど口三味線で師から弟子へ伝えることが「和の世界」の基本のような気もする。ましてや阿波踊りを究めた人が譜面化するならともかく、かじった程度の私が譜面化しているんだから、阿波踊りの鳴り物の諸先輩かたがたにお叱りを受けるかも知れない。
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2009.1.20(月暦・十二月二十五日) |
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古書の在庫の整理がままならず、そのままになっていた古書を少しずつ整理を開始、徐々にではありますが、当サイトにて掲載を開始しました。
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2008.7.18(月暦:六月十六日・満月) |
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「違いが分かる」といって思い出すのは、あのインスタントコーヒーのコマーシャル。松山善三が初代「違いが分かる男」だった。その後3代目は中村吉右衛門、16代目はやまもと寛斎と続き、23代の宮本輝からは「上質を知る男」となり、その後も宮本亜門など多くのセレブリティ達が「上質を知る男」ブリを楽しませてくれた。唐沢寿明と市川染五郎、松本幸四郎、松たか子からは「違いを楽しむ人」として、私たちに違いを楽しむ術を教えてくれた。
しかし、「違いを知る」とはどういうことか。違いをわからない人間が、「違いが分かる」ということを書こうという。それは無謀、大胆不適、恥知らず、恐れを知らないと言うか、厚顔無恥というものでしょうが、まあ難いことはいいっこなしということで…。
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2008.7.3(月暦:六月二日) |
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イギリスやフランスを筆頭に欧米ではエイプリルフールは国民の年中行事として定着しているが、日本ではそれほどではない。理由はどの辺にあるのだろう。いわゆるユーモアやジョークに関する考え方の差だろうか。
それでも日本のエイプリルフールの武勇伝は…ある。特に朝日新聞が以前よく仕掛けはしたが、極めてまじめな読者等の大抗議の前にあえなく撃沈している。たいがいは翌日訂正記事の掲載を余儀なくされている。「公器たる大新聞がウソ記事を載せていいのか」というのが主な内容だが、無粋といえばこれほど無粋な話はない。事実上の国営放送(公共放送)であるNHKは仕掛けようという気配すらないが、イギリスのBBCの度重なる大ヒットと比較すると際だっている。
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2008.6.7(月暦:五月四日) |
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ここでいう今月今夜の月だが、月暦いわゆる旧暦ならば来年の今月今夜の月も、再来年の今月今夜の月も、常に十七日月(居待月)が昇りなんの問題もない。しかし、西暦ならば来年の今月今夜も、十年後の今月今夜も同じ月が昇るはずがない。
尾崎紅葉が『金色夜叉』を読売新聞に連載をはじめたのは明治30年(1897)1月17日で、この年の1月17日を調べてみると、旧暦では前年の十二月十五日でなんと十五夜、ほぼまん丸い月が昇っていた。文意からも、小説のシチュエーションとしても今月今夜の月とはこの満月を意識していただろうし、映画や芝居でも背景には当たり前のように満月を昇らせている。
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2008.5.1(月暦:三月二十六日) |
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かれこれ1年半ほど、すっかり滞っておりましたが、ようやく再開させていただきます。この間、毎月観るだけはどうにか頑張っていたのですけども、このメモを書くほうはトンと時間が取れずに過ぎていました。
ここまでのブランクは、また徐々にさかのぼって埋めていくつもりです。
今後ともよろしくどうぞ。
さて、すっかり4月です。花見の時季は過ぎましたが、まだ花粉症患者には油断ならない日々が続いております。気温の変動も激しいので、御身体お大事にどうぞ(K.T.)。
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2007.12.17(月暦:十一月八日) |
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月と太陽の暦制作室編の「月と季節の暦」2008年版、只今好評発売中です。
また、月と太陽の暦制作室では、月暦の手帳も制作しています。詳細は こちら まで。
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2007.4.10(月暦二月廿三日) |
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阿波踊りの基本中の基本は右足を出したら右手、左足を出したら左手を出すことだが、これを「ナンバ歩き」というのだそうだ。通常「右手と右足が一緒になる」といえば緊張したりあがっり、うろたえたり、あるいは不器用な様をいう場合が多い。しかし、日本では江戸時代まではこのように歩いていたと考えられている(異論もあるようだが)。
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2006.12.10(月暦十月廿日) |
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書いてはとぎれ、とぎれては書き、延べにすると二十数年は続いたが、いつの間にかつけなくなった。空欄ばかりが目立つその日記帳を眺めれば、気負いと反省ばかりが並ぶものとなっていた。
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2003.3.24(月暦:二月廿三日) |
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一年に一度、この日は害のないうそをついていい日というエイプリルフール。
昨今、笑えない嘘がはびこり、エイプリルフールの習慣も色あせた感が否めない。本家のフランスやイギリスもインターネットの普及で膨大なウソネタが横行し、モチベーションが低下したようで、そう「流行らなく」なってきたという。
しかし、しかし、である。人を貶めようとする嘘や見栄、過度の自己顕示欲、誤魔化しとしての嘘は論外だが、ウソが醸し出すセンスやシャレ、その奥行きはなお捨てがたい。
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構成・編集・執筆●巌松堂出版:綿引章夫&佐伯淳
デザイン協力●加藤デザイン事務所:加藤正博
映画MEMO執筆●高城健一
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