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【2005年11月】
●アワーミュージック
●愛をつづる詩(うた)
●ランド・オブ・プレンティ
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●アワーミュージック ★★★
(2004・仏・スイス) |
監督:ジャン・リュック・ゴダール
出演:ナード・デュー
ゴダール本人
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ゴダールの映画は、もう単に【映画】という枠に収まりきれない【ゴダール】というひとつのジャンルだ、なんて言ってみたくなるのは、特に自分からゴダール・ファンを名乗るわけでもないこちとらをおいておやだが、しかし、だからと言って「ゴダールは映画を超えた」とまでは申す気になれないところが、ちと複雑。
大きく3部に分かれ、「地獄」では記録フィルムやニューズ映像のモンタージュによって殺戮の歴史が綴られ、「煉獄」では現在のサラエヴォを訪れた映画監督ゴダール本人と、その講義を聴きに来た女学生オルガやジャーナリストとの交流が描かれ、最後の「天国」では殉教した女学生オルガが文字通り天国を歩く。
この「天国」の部分など、下手をすれば陳腐きわまりないところだが、そこはゴダール、ハイ・キーだとかぼかしだとかの小細工を弄さず、ただストレートに物質から離れた世界を見せる。
膨大な引用も相変わらずで、その上、更にここでは作家や詩人たちが実名で登場して自作を読み、語る。とにかく、ヨーロッパに生きていれば民族対立の問題は日々切実で、それは、うちでボーっとしてる日本人の想像を遥かに超えるのだ。
それにしても、この邦題は何だろう? 原題『ノートル・ムジーク』は当然フランス語だが、それをどうしてわざわざ『アワーミュージック』と英語に翻訳するのか、さっぱり解らない。これだけ見るとカタカナだから、「時間」の「hour」と紛らわしいではないか! もし訳すなら日本語で『われらの音楽』とでもするか、訳さないならフランス語そのまま『ノートル・ムジーク』で一向に差し支えないと思うのだが…。
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●愛をつづる詩(うた) ★★
(2004・米・英) |
監督:サリー・ポッター
出演:ジョアン・アレン
サイモン・アブカリアン
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サリー・ポッターは敬愛する監督だけに、かなり期待して観たが、これは全くのはずれであり、何とも残念な一作だった。
場所はロンドン。愛人のいる旦那に絶望したセレブ夫人が、ホテルのコックと不倫にはしるのだが、その男がレバノン人であり、9.11後の、イスラム系民族との共生をテーマとして浮かび上がらせて行く、その志しは高しと認めるものの、台詞に韻を踏ませたり、監視カメラの映像を混ぜたり、夫婦の家の掃除婦を狂言廻しにしたりといった小細工は、コメディなのかシリアス・ドラマなのか、狙いが中途半端では生きてこない。
音楽を解ってる監督としても楽しみだったけど、今回はポピュラー名曲を平凡に流すばかりで、彼女らしい閃きは感じられず、その面でも期待ハズれだった。
邦題も、いかにも女性観客狙いが露骨であり、往年のメロドラマ『ある愛の詩(うた)』と字面(じづら)も似てて、あまり感心しない。思い切って原題そのまま『YES』でも良かったのではないか?
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●ランド・オブ・プレンティ ★★★
(2004・米・独) |
監督:ヴィム・ヴェンダース
出演:ミシェル・ウィリアムズ
ジョン・ディール
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タイトルの「豊かさの国」とは、そのままアメリカを指すと同時に、皮肉な反語でもあるのだろう。
退役軍人のポールは、テロルを警戒して中古のキャンピング・カーに監視カメラを仕込み、日々LAの街をパトロールしているのだが、それはまるで戦争ごっこか特殊部隊ごっこのような、微苦笑を誘う偏執的行動でしかない(笑)。案の定、彼がテロリストと思い込んで急襲したアラブ人は、貧しくとも極めて善良な市民だった。この辺のストーリー展開はほとんど予想通りだが、それでも面白く観られる。
大詰めは短いロード・ムーヴィーとなって、LAからNYまで大陸を横断し、WTCのあったグラウンド・ゼロを姪と二人でじっと凝視める。そこには全くなんの衒いもなく、9.11後のアメリカ人のメンタリティを率直に描くのみである。
ポールの姪役のミシェル・ウィリアムズは、『スピーシーズ/種の起源』でナターシャ・ヘンストリッジが演じた宇宙生物の、そのまた少女時代をやってた子だった。もうこんなに大きくなったのか、と思わせるが、10年たったら当たり前か…(苦笑)。
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