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 【2006年8月】
 ●M:i:III
 ●『パイレーツ・オブ・カリビアン / デッドマンズ・チェスト
 ●『日本沈没』
 ●『ゲド戦記
 ●『太陽
 ●『紙屋悦子の青春

●M:i:III ★★半
 (2006・米・2時間06分)

 監督・脚本:トム・クルーズ
 出演:フィリップ・シーモア・ホフマン
    ミシェル・モナハン
 


 このシリーズは、トム自身が製作を務めてるせいもあってか、時間を置いてじっくり作られてる印象で、『1』から『2』までは4年かかり、『2』から『3』までは6年もあいている。
 トムも、もう44歳と若くはないが、スタントマン無しで結構危険なアクションをこなしているのは、流石だ。
 監督は、デ=パルマ、ジョン・ウーと代わって来たが、今度はTVシリーズ「LOST」で当てたJ.J.をトム自ら口説いて起用。
 そのお手並みは、アクション映画としてはなかなかのもので、見せ場の連続で飽きさせず、舞台もアメリカ本土からローマ・ヴァチカン、上海へと変わって、目先を楽しませてくれ、いわゆるポップコーン映画としては充分に面白いのだが、人間感情の掘り下げという点ではやはり通り一遍で、どこかTV映画的な浅さがつきまとい、後に深く残るものは無い。
 ただ、シーモア・ホフマンの敵役ぶりには迫力があって、トムと拮抗する以上の凄味で、充分に堪能させてくれる。
 スパイ映画には大まかに言って、イギリス型とアメリカ型とがあって、『007=ダブル・オウ・セヴン』に代表されるイギリス型では、主人公の私生活は描かれても、あくまで自宅から離れた範疇であり、彼の私邸はまったく出て来ないのに較べ、『電撃フリント』や『サイレンサー 沈黙部隊』といったアメリカ型では、たいてい主人公が私邸の中で眠っていたり、美女たちを侍らせてハーレム状態だったりしてるところから始ま
り、『サイレンサー 沈黙部隊』に至っては、カタツムリが殻を背負って歩くみたいにキャンピング・カーで家ごと移動している。
 TVシリーズの「スパイ大作戦(ミッション・インポッシブル)」はほぼイギリス型で、劇場版の『1』『2』も比較的イギリス型に近かったのだが、この『3』は、トム(イーサン・ハント)の私邸での婚約パーティーで始まり、もろアメリカ型になっている。つまり、アメリカ映画の大部分を占める「家庭の幸福」映画の一環となってしまったのだが、そのことについての製作陣の意識は、極めて薄いようだ。
 その辺は、デ=パルマ、ジョン・ウーが純然たるアメリカ感性とは距離があったのに較べ、J.J.のほうは生粋のアメリカ人監督であるのだから、当然の帰結なのだろうが…。

●パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト ★★半
 (2006・米・2時間31分)

 監督:ゴア・ヴァービンスキー
 出演:ジョニー・デップ、オーランド・ブルーム
    キーラ・ナイトレイ
 


 前作『パイレーツ・オブ・カリビアン / 呪われた海賊たち』は、ブラッカイマー製作映画としては極めて上出来の快作だったが、これもなかなかに快調な上に更にスケール・アップして、存分に楽しませてくれる。
 特に、「さまよえるオランダ人」号という幽霊船の船長デイヴィ・ジョーンズが、顔の半分タコの脚になってるのだが、特殊メイクでなくCGで作られているので、常にグニョグニョと動いて薄気味悪いことこの上ない(笑)。
 また、巨大なタコの怪物=クラーケンが襲ってくるとこなぞは、迫力もスピードもあって、往年の『海底二万マイル』の大イカ以上に凄い見せ場だ。
 なんでも、これは全6部作の構想だそうで、かの『スター・ウォーズ』シリーズに倣っているらしく、そう言えば人物設定など、どこか共通点も感じられる。
 ラストでジャック・スパロウ船長が絶体絶命になるのは、『SW』でハン・ソロが樹脂づけの像にされてしまうのに通じるし、若者ウィルの父親が意外な人物、というのは、ルーク・スカイウォーカーとダース・ベイダーの父子関係を連想させるのだ。
 ただ、このシリーズはあくまで喜劇なので、『SW』よりもシリアスな部分がぐっと少ないのは、当然ではあるが…。

●日本沈没 ★★
 (2006・東宝 他・2時間15分)

 監督:樋口真嗣
 出演:草薙剛、柴崎コウ

 


 小松左京の原作の33年ぶりのリメイクだが、しかし、これはあの小説とは全く別物と言ってもいいくらいの脚色=変更がほどこされ、結末が全然変ってしまった。
 (あまりの事に絶句したので、以下、ネタを全部バラしちゃいますから、未見でこれから観るつもりのかたは、読まないで下さい↓)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 その改変は、早い話しが、日本沈没せず、途中で止めちゃった(笑)、ということであり、これでは最近出版されたばかりの小説「日本沈没 第2部」(小松左京/谷甲州:著)には全く繋がらなくなってしまう。
 それかあらぬか、小松左京はこの映画のプロモーションに殆ど顔を見せていず、知る限り、劇場パンフに「草薙君が演ってくれて嬉しい」というようなコメントを寄せているのみである。
 特撮の面では、CGが存分に使える強みが生きて、旧作に較べても見劣りしない迫力はあるが、逆に、もっと凄いことができるんじゃないか、という物足りなさをやや感じさせもする。
 で、大問題の後半は、何やら『アルマゲドン』や『ザ・コア』みたいな決死の突入になって、プレートに爆薬を大量に仕掛けて切断し、日本列島が海底に引きずり込まれるのを止めようという、なにやら粘土模型の世界みたいな作戦に出るのだ(笑)。そういう話しを大真面目に撮って、原作の科学考証を全部ふいにしてしまうとは、こりゃまた予想外だった(脱力…)。
 旧作ではヒロインが いしだ・あゆみ で、おっとり型お嬢様だったのに較べ、今度の柴崎コウはハイパー・レスキューの女性隊員で、ヘリから飛び降りたり、バイクをぶっ飛ばしたりと、180°反対の活躍ぶり。ただ、個人的には当時の いしだ・あゆみ のほうがタイプだけど…(笑)。

●ゲド戦記 ★★
 (2006・日・1時間55分)

 監督:宮崎吾朗
 声の出演:岡田准一、手嶌葵
      菅原文太
 


 アーシュラ・K・ル=グウィンの原作は、「指輪」や「ナルニア」などに較べても一段と哲学性が強く、またユングの分析心理学を援用した解釈をする人もあり、なかなか一筋縄ではいかない。
 そもそも宮崎駿監督はこれを映像化したくて、かつてル=グウィンにオファーしたのだが、OKが得られず、あきらめて『風の谷のナウシカ』を作ったのだそうな。また、ジブリの鈴木プロデューサーは、宮崎アニメを作っていて監督の意図の解らないところがあると、「ゲド戦記」を読み、そうすると多くは答えが見つかったのだと言う。
 そういう歴史からも、宮崎駿監督がいかに「ゲド戦記」から影響を受けているか、想像以上であることが窺い知れるだろう。
 やがて、『もののけ』や『千尋』で欧米の非アニメ・ファンにも名前が知れ渡るようになり、数年前にやっとル=グウィンから映像化OKが出て、この念願のアニメとなったわけだ。
 だが、それにしては、何故に駿監督が演出を息子に譲ったのかは、まったく理解の他である。
 とにかく、長男でジブリ美術館の館長だった宮崎吾朗が監督デビューしたわけだが、朝日の夕刊に「監督が素人だから、こんなものでしょう」という評言が紹介され「ゲド苦戦記」と皮肉られていたので、ある程度は覚悟して観たのだけれど、正直、ここまでレヴェルが落ちてしまうとは予想外であり、きょうびTVアニメでさえ、もっとちゃんとした画で作ってるし、これではジブリ・アニメの看板に傷がついてしまうのではないか?
 人物にも背景にも、あの独特の清々しいトーンは見当たらず、動きも無駄が多くてまだるっこしく、スピード感はだいぶ落ちる。
 また、これは原作の第3巻「さいはての島へ」を中心にアニメ化したものだが、多くの批評が指摘している通り、説明不足の点は否めず、本作だけで「ゲド」を理解するのには無理があり、ここではその世界の一端を味わうにとどまると言うべきだろう。
 ともあれ、今後「宮崎アニメ」という言葉は使えなくなり、「宮崎駿アニメ」とフルネームで言わなければならなくなったことは確かだ。

●太陽 ★★★半
 (2005・露・1時間55分)

 監督:アレクサンドル・ソクーロフ
 出演:イッセー尾形、桃井かおり
    ロバート・ドーソン
 


 これは今年の上半期洋画のベスト3には入ろうかという傑作! 下半期を含めた年間で見ても、ベスト5には充分食い込みそうだ。
 ロシアの鬼才アレクサンドル・ソクーロフが、20世紀の権力者を取り上げたシリーズは、ヒットラーの『モレク神』(1999)、レーニンの『牡牛座』(2001)と続いて、ついにこの『太陽』
で昭和天皇ヒロヒトを主人公とするに至った。
 題材が題材だけに、昨年2月のベルリン映画祭では話題になったのに、日本での公開は配給会社がどこも及び腰で、マイナーな会社が共同で買いつけ、やっとこの夏に封切られたわけだが、場所が銀座シネパトスというB級映画の多い場末劇場であり、(某編集子によれば、それ自体が不敬罪じゃないかって話し…笑)そこを経営するヒューマックスなどは、地元の警察署に相談に行ってから上映を決めるという用心ぶり、というか、
臆病ぶり。 ただ、これは昭和天皇の一代記ではなく、敗戦直前からマッカーサーとの会見を経て「人間宣言」を決断するまでの半年ほどに絞っている。
 皇居の地下の待避壕や唯一残った生物研究所での天皇の生活ぶりが実にリアルであり、ロラン・バルトがシンボリックな空間としての皇居を指して言った、「空虚な中心」という言葉を正に彷彿させる。
 とにかく、戦前・戦中は「制度としての神」であり、今現在でも憲法の最初の章で「国民の象徴」と崇められる存在に、ここまで肉迫するのは日本人には至難の業(わざ)だが、そこは何の呪縛も無いソクーロフのこと、綿密な考証と想像力を駆使して天皇・裕仁の苦悩と孤独を詩的なまでに描き出してくれる。
 演ずるイッセー尾形が、下手をすればリスクのある大役を引き受け、天皇そっくりに模して見事であり、主演男優賞もの。 桃井かおりの皇后も、出番は少ないが、流石に奥の深いところを見せる。

●紙屋悦子の青春 ★★★
 (2006・日・1時間53分)

 監督・脚本:黒木和雄
 出演:原田知世
    永瀬正敏
 


 『TOMORROW/明日』『美しい夏キリシマ』『父と暮らせば』の戦争3部作に続いて、これで黒木和雄の戦争4部作となったが、公開を待たずに今年の4月12日に急逝したため、これが遺作となってしまった。
 松田正隆の'92年の戯曲をほぼ忠実に映画化したものであり、『父と暮らせば』同様、殆どがセットで撮られ、実際に舞台劇を観るようなじっくりとした長廻しの連続で、映画的な省略も無いから、俳優からすれば、力量をモロに試されるような高度な演技を要求されるところ。
 特攻隊に志願した航空兵が、思いを寄せる女性に、自分の同僚の整備兵を紹介して見合いさせ、それを見届けてから死地に赴(おもむ)くという、何ともいじらしい話しを、微細に至るまで丹念に誠実に描いて、涙をさそう。
 役者は皆よく応えて好演だが、わけても本上まなみの凛とした達者ぶりが際立って、原田知世を食ってしまいそうで、これは悠に助演女優賞ものだろう。
 もともと記録映画作家であり、劇映画第1作もまるで映像詩のような『とべない沈黙』('66)で始めた黒木和雄が、何故に晩年は映画的特性を全て放棄したような舞台劇的作品に収斂していったかは、まだまだ考察しなければならないが、例えば小津安二郎が、晩年になるほどロウ・アングルの固定カメラという様式にストイックなまでに自己規制していったことに、どこか相通じるような気がする。








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