1901年 |
(10月20日)港区麻布十番に個人経営の古書店を開業(創業者、波多野重太郎…1958年8月18日死去) |
1904年 |
神田に進出、古書と新本を扱う。同年の勅題「巌上の松」に因み書店名を「巌松堂書店」とする |
1908年 |
出版業に進出。処女出版は伊知地著『ロシア小史』。川島信太郎 著『外交官受験提要』。以降、法律書・経済書など社会科学系を中心に幅広い分野で次々と出版する(当時出版物は「三書楼」という社名で刊行していたこともある) |
1914年 |
満州京城本町支店開設 |
1916年 |
本郷支店開設(東京都文京区) |
1919年 |
大阪支店開設(現在、波多野巌松堂として板橋区志村で存続) |
1923年 |
(9月1日)関東大震災により本店店舗全焼。 |
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(12月)株式会社に改組。出版業を中心として、新刊部、古書部を併設、3事業部制を敷く |
1934年 |
( 5月)満州新京支店開設 |
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雑誌『むらさき』を創刊 |
1938年 |
波多野一(長男)、社長に就任 |
1947年 |
出版物中に戦争協力の著書があったため、波多野一社長が追放され、波多野重太郎、社長に再任。この年、単独で全国の 書店相手に取次業を開始 |
1949年 |
書籍代未回収のため、取次業として多額の借金を負い倒産 |
1950年 |
創業者の要請により波多野勤子(次男波多野完治<お茶の水女子大学名誉教授/2001年5/23逝去>の妻、日本女子大学教授…1978年 9/15逝去 )が会社再建の責任者となる(現在株式会社巌松堂東京本社として存続) |
1955年 |
加藤美智が巌松堂の出版部門を引き継ぎ、巌松堂出版株式会社を設立 |
1965年 |
近藤顕房(1985年10月6日死去)社長に就任 |
1985年 |
綿引章夫、社長に就任。千代田区飯田橋に本社を移転 |
1988年 |
イベント、デザイン企画制作を開始 |
1996年 |
(4月) 資本金1000万円に増資 |