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  【2008年7月
 ●クライマーズ・ハイ
 ●庭から昇ったロケット雲
 ●テネイシャスD
   運命のピックをさがせ!
 ●崖の上のポニョ
 【7月続き
 ●スターシップ・トゥルーパーズ3
 ●GATE
 ●ドラゴン・キングダム

●『クライマーズ・ハイ』★★★
 (2008・日・2時間25分)7月5日公開

監督:原田眞人
出演:堤真一
   堺雅人


 1985年8月12日に起こった日航ジャンボ機の墜落事故は、ニュースを見ながら血の気が失せ、体温が下がって行くような気がするほどの衝撃だった。
 尾翼が吹っ飛んで操縦不能になったまま飛び続けるという、乗員にとっても乗客にとってもひどく残酷な時間を経たのち、山腹に激突して500余名もが犠牲になるという最悪の結末…。
 この題材を扱った横山秀夫の原作小説はNHKでもドラマ化されたが、この劇場映画化は原田眞人の相変わらずの豪腕演出で、TVとは比較にならない「これぞ映画」の迫力を見せてくれる。とにかく、観客を多少置き去りにすることも厭わず、リアリティ溢れる描写でグングンと進めて行くので、少々長尺なのも気にならない。
 ただ、ここでの主題はジャンボのクラッシュそのものではなく、この事故を地元の新聞社の社員たちがいかに取材し報道したか、という新聞記者物語にあり、大組織における人間たちの思惑や葛藤など、原田が『金融腐蝕列島』『あさま山荘』などでも赤裸々に描いてきた男同士の嫉妬や憎悪が、また一段と激しく演出されている。
 堤真一の演じるデスクは、遊軍でありながらワンマン社長のツルの一声で全権を任されるという不安定な立場で、その足元の覚束無さが全編を覆い、強い緊張感を生み出している。
 境雅人は、いつもは線の細いイメージだから、最前線へ赴く記者として全力を振り絞っている様子がちと痛々しいが、激情をぶつけて堤真一のデスクと衝突するシーンなどは、リミッターを超えて針が振り切っているようで、これまでの彼には見られなかったものだ。
 尾野真千子は、河瀬直美の2作に主演し今やカンヌ女優として国際的になったが、ここでも駆け出しの新米記者役を好演。
 他にも、遠藤憲一の社会部長、山崎努のワンマン社長など、役者は揃って見応えがある。
 なお、この事故の原因は尾部の圧力隔壁が破裂して尾翼を吹っ飛ばしたもの、と殆ど認識は共通しているが、未だにそれを否定して圧力の低下は無かったとする意見が健在であることがエンド・ロールで示されるのには驚く。
 専門領域に素人が口を挟む危険は承知で、それならどういう原因で尾翼が破損したのか、整合性のある説明を聞かせて貰いたい、と言いたいものだ。
 ともあれ、本作は今のところ上半期の邦画ベスト・ワンだろう。

●『庭から昇ったロケット雲』★★半
 (2008・米・1時間44分)7月5日公開

 監督:マイケル・ポーリッシュ
 出演:ビリー・ボブ・ソーントン
    ヴァージニア・マドセン


 ポーリッシュ兄弟は、処女長編の『ツイン・フォールズ・アイダホ』(1999)を観る限りどこかカルト的な印象で、その作家性に非凡な才能を認めるのは吝(やぶさ)かでなかったものの、正直、何が言いたいのか解らない隔靴掻痒を味あわされる感じだった。
 しかし、これは予想以上に見応えある佳作。
 たったひとりで宇宙ロケットを建造し、有人宇宙飛行をしようという男の物語だ。
 アメリカ映画には、こういう無謀な計画を立てて周囲から変人扱いされる人物がよく登場してくるが、それこそ最もアメリカ的な開拓者精神に則り、成功した時の賞賛もまた格別なものとなるので、絶好のヒーロー譚として映画にうってつけだからだろう。
 とにかく、たとえジェミニ計画(1962〜1966)よりも更に前のマーキュリー計画(1959〜1963)程度の規模とは言え、個人で宇宙船を打ち上げることがいかに非現実的かは常識のレヴェルであり、そんな映画に説得力があるだろうかと観る前は半信半疑だったのだが、厳密な科学考証に少々目をつぶりさえすれば、多くの反対や妨害、失敗にもめげず宇宙への思いを貫こうとする主人公の姿には、徐々に共感をおぼえ、やがて感動さえしてくるのだ。
 何と言ってもビリ−・ボブ・ソーントンが魅力的で、今までに見た彼の最高演技であり、持ち味を遺憾なく発揮しているところは世評の高い『チョコレート』以上で、主演男優賞に推したいくらいだ。
 ヴァージニア・マドセンも妻役で好演。
 ただ、この種の変わり者の夫を包容して支える女房というのは、ピーター・ウィアー『モスキートコースト』(1986)のヘレン・ミレンとか、ディズニー映画『アドベンチャー・ファミリー』(1975)のスーザン・ショウとか、変わったところでは『ゆきゆきて、神軍』 (1987) のアナーキスト奥崎謙三の妻・シズミさんとか、挙げれば数多あり、いずれも好印象を残すので、女優としてかなり役得だとは言える(シズミさんは女優ではないけれども)。
 ブルース・ウィリスが、NASAの元同僚役で顔を出し、貫禄を見せている。
 いずれにせよ、これはアメリカ映画の基本である「家庭の幸福」映画のひとつには違いないけれども、いわゆるアメリカン・ドリームの典型でもあって、リアリティの採点さえ少々おまけすれば、この爽やかな後味は何とも心地よいものだ。

●『テネイシャスD 運命のピックをさがせ!』★半
 
(2006・米・1時間33分)7月14日公開

 監督:リアム・リンチ
 出演:ジャック・ブラック
    カイル・ガス


 テネイシャスD(TENACIOUS D)とは、「強固なディフェンス」とか「鉄壁の防御」といった意味で、アメリカではバスケやアメフトなどのスポーツ中継でアナウンサーがよく「テネイシャス・ディフェンス!」と絶叫するのだそうだ。本来、NBAのNYニックスの攻撃的ディフェンスを意味したらしい。
 ただ、この喜劇はスポーツとは全く関係なく、ここでの『テネイシャスD』とは、主演のふたりが組むロック・バンドの名前であり、そもそもこのふたりは実際にこの名で長らくバンド活動をしている。
 映画の中でも出会ったふたりは、過去の一流ロック・ミュージシャンが皆おなじギター・ピックを使っているのを発見。それは悪魔の歯から作られた「運命のピック」で、ひとたびそれで演奏すれば大ヒットを飛ばすことが出来、ビートルズやジミヘンなど多くの一流ミュージシャンの手から手に伝わって、今ではロックンロール歴史博物館に秘蔵されているのだという。
 ロックの歴史に秘められた衝撃の事実(!)を知ったふたりは、自分たちもそのピックを使って一流になろうと、ロックンロール歴史博物館へ潜入するが、そこは難攻不落の要塞だった…。
 とにかく、このお話しが笑えるし、ふたりが好き放題にやりまくるギャグが相当お下品なのを許容できれば、ロック通でなくても楽しめること受け合い。
 多くのロック・ミュージシャンの協力で出来た映画だということで、ジャック・ブラックの人望(?)ゆえか。

●『崖の上のポニョ』★★★
 
(2008・日・1時間41分)7月19日公開

 監督:宮崎駿
 声の出演:山口智子
      長嶋一茂


  世界的にCGアニメ、3Dアニメ全盛の昨今、宮崎駿アニメの新作があえて手描きにこだわり、CGを使わない旧来のセル画技法のみに回帰しているのは、今や世界アニメの頂点のひとつに立つとも言える駿監督の強力なポリシーを示している。
 それを、「セル画アニメを廃れさせてはならない」という強い思いと採るか、ピクサーを始めとするCGアニメ先進勢に太刀打ちするにはもうCGでは不利だと判断したと採るかで、評価は変わってくるだろうが、実際のところその両方があるように思われる…。
 ただ、セル画オンリーを強調するあまりか、いかにもマンガマンガしたデフォルメがいつも以上に目立ち、駿アニメの魅力だった風景の美しさを殺している面が無きにしも非ずだが、いずれにしてもマンガ的世界に玄妙なるファンタジーをミックスして、一筋縄ではいかない独自の宮崎駿ワールドを構築しているのはさすがだ。
 ポニョそのものについては、テーマ・ソングでは「さかなの子」と歌っていて、台詞では「金魚」とも「人面魚」とも呼ばれ、いずれも「さかな」が付いているが、父親は元人間で今は海と同化したような魔人の如き男=フジモトであり、母親は海の女神=グランマンマーレであるのだから、そこからどうして「さかな」が産まれるのかはすぐに腑に落ちるわけではないが、そういう出自からして、ポニョには主人公の宗介少年と友達
になるということ以上に大きな使命がありそうなものだけれども、話はそういう方向には行かず、あくまで子供向けの「仲良しこよし」のレヴェルで終わっているように見える。
 しかし、一見予定調和のようでいて、ここには不明・不可解な点が多く残り、「ノアの洪水」とか「水上歩行」とか「復活」とか聖書のモチーフとのアナロジィを指摘する向きも有って
、考えさせられてしまうことは、作品としての奥行きが深いと見るか、完成度が低いだけと見るか、意見は分かれるかもしれないが、すべてが腑に落ち納得がいく『カンフー・パンダ』のような快作は、完成度が高くても、それ以上に考える余地は無いのだとも言える。
 ともあれ、ここでの手描きの味わいは格別であり、セル画のポテンシャルはまだまだ尽きたわけじゃない、という思いは充分に伝わってくる。
 なお、ポニョについては鈴木敏夫プロデューサーが興味深いことを書いていて(8月5日付け毎日夕刊)、これまで、一途で健気でひたむきな、女性の理想像を描いてきた駿監督が、初めて、わがままで自分勝手な現実的な女性としてのヒロイン(ポニョ)を描いたのは、監督が老境に入ったことを示しているのかもしれない、というのである。
 現実の女はわがままで自分勝手でままならないもの、しかし、そういう女に惚れるのもまた男の本質、というのは、身につまされる話しではあるが…(
笑)。

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