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  【2008年5月
 ●靖国/YASUKUNI

●『靖国/YASUKUNI』★★★
 (2007/日本・中国/2時間03分)5月3日公開

監督:李纓(リ・イン)


 上映中止をめぐって騒ぎになった問題作だが、東京では意味深か皮肉か、5月3日の憲法記念日に封切り。
 渋谷のシネ・アミューズに行くと、警視庁の車両がものものしく表に駐車し、機動隊が立っていた。右翼・民族派の抗議を警戒してのことだが、例えば一水会の鈴木邦男あたりが早々とこの映画への賞賛のコメントを出したりしているのだから、これは過剰であり杞憂ではないのか?
 肝心の映画のほうは、まだ午後3時だというのに最終回まですべて完売で、入場出来ず。
 諦めて、後日シネカノン有楽町へ出直すと、そこではもう警視庁の車は無く、券もすんなり買えた。場内はほぼ満席で、普段あまり映画を観ない層がかなり含まれてるような印象。
 邦題は『靖国/YASUKUNI』だが、実際の画面に出るメイン・タイトルは『靖国神社』であり、それに「YASUKUNI」とルビが付いていた。
 この違いはどこから…、と微管を傾けるに、既に各国の映画祭などで上映されているので、諸外国向けには具体的な神社名としたほうが解り易く、逆に国内向けには、神社名だけに限定されない広く概念性も含んだタイトルにしたほうが良い、という判断の違いから来ているのではないか…、などと忖度してみた。
 李纓(リ・イン)は日本在住19年の中国人監督で、1963年生まれの45歳。既に長編4本を発表していて、おしなべて海外での評価は高いのだが、残念ながらどれも未見。
 だからリ・インのいつものスタイルとの比較は出来ないのだが、ここではナレーション皆無で編集を極力せずに素材のまま提示する、という往年のシネマ・ヴェリテあたりを彷彿させる手法によって、一見不器用にも思わせる様式を貫いている。
 ともかく、普段目にするメディアの動画映像ではまず有り得ない、延々と続く沈黙とかゆるい動作とかをカットせずにまるごと写し続ける演出は、こういう劇場長編でなければ不可能なことだろう。
 「靖国問題」に関する議論は、それだけで何冊もの本が出来るような分量だが、要は、それが追悼施設に名を借りた顕彰施設であるということに尽きるのではないか。だから、あの侵略戦争を肯定する思考の本山と見え、アジア諸国からの非難と監視の対象となるのだ。
 そもそも、当の日本人の何人が靖国の御神体がそこで作られる日本刀だと知っていただろうか?
 (厳密には、御神体は「神剣および神鏡」だそうだが、刀が含まれていることには違いない)
 構成としては、その“靖国刀”を鍛造する刀鍛冶の老匠を主軸に、例年の8月15日に繰り返される参拝風景を交互に重ねて、民族派の主張や合祀拒否の遺族の訴え、小泉首相の会見などがじっくりと差し出される。
 終結に来て、旧日本兵が軍刀を使って捕虜を処刑するスチル写真が次々と重ねられ、そこに無言のうちにリ・インの主張が明示されている。それらの軍刀は、おそらく殆どが靖国神社で鍛造されたものだろうから…。
 中では、台湾国会議員の女性、高金素梅の凛とした美しさが極めて印象的。高砂義勇兵の合祀を取り下げるべく、靖国神社の社務所で毅然として訴える姿には、惚れ惚れとさせられる。
 音響面では、おおむね現場の同時録音だが、終盤、音楽としてヘンリク・グレツキの交響曲第3番《悲歌のシンフォニー》が使われ、厳粛な効果を上げている。
(演奏はナクソス・レーベルだったので、アントニ・ヴィト指揮/ポーランド国立放送カトヴィツエ交響楽団のものと思われる)
 この曲は、ピーター・ウィアーの傑作『フィアレス』(1993)でも使われて、劇的な相乗効果を上げていた。(そこではジンマン指揮/ロンドン・シンフォニエッタのベスト・セラー盤を使用)
 いずれにしろ、本作のような死者の魂に関わる題材には、極めて相応しい選曲と言えるだろう。

(以下、全くのプライヴァシーの開陳です。興味の無いかたは飛ばしてお読みください)

 靖国神社は、子供の頃は遊び場だった。
 境内に露店が並ぶと、友達と連れ立ってうきうきと端から見てまわり、あれこれ買い食いをした挙句、怪しげな実演販売に引っかかって無用な器具を買ってしまったこともあった。
 サーカスもどきの見世物が来ている時もあり、中では、巨大な鳥の巣のような球体の内側をオートバイがぐるぐる走り回る曲乗りに、唖然として見入っていたのが強い印象として残っている。
 小学生の時、殆どの男子児童の興味は、第2次大戦の軍艦や戦闘機、戦車などの兵器であり、少年雑誌にはその精密図解が溢れ、こぞってデータを暗記したりプラモデル作りに励んだりしていたので、靖国の遊就館にも何度か行ったが、本物の迫力は多少感じたものの、夢中になるほどのことは無かった。 
 また、長らく通学・通勤の通り道として毎朝毎晩、境内を横切っていた時期もあったし、デートで社の奥のほうの庭園まで行って静かな時間を過ごしたこともあった。
 現在でも花見のスポットや散歩コースとして通過することはあるが、見学はしても、参拝をした記憶は無い。
 父の双子の弟は戦死しているので、そこに祀られているのかもしれないが、確かめたことも無い。
 要は、宗教としての靖国神社に、何か自分が影響を受けるとは、殆ど思えないのだ。
 しかし、「靖国神社で会おう」と言って、あまりに多くの旧軍人が死んでいったことは、紛れも無い事実であり、そういう人たちへの本当の追悼のためにも、また、そういう歴史を繰り返さないためにも、靖国をめぐる問題を看過してはならないと、改めて思う。








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