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2006.12.10(月暦・十月廿日)

日記は残念記?

日記は「残念記」?
 皆さんは日記を付けた経験がおありだろうか? 私は、書いてはとぎれ、とぎれては書き、延べにすると二十数年は続いたが、いつの間にかつけなくなった。空欄ばかりが目立つその日記帳を眺めれば、気負いと反省ばかりが並ぶものとなっていた。そんな折り、読売新聞の「編集手帳」を読んだ。そこには「葉隠」の中の話として、鍋島藩士、山本常朝が若いころ、「残念記」という日記を付けていたことが紹介されていた。常朝はその日その日の過ちを書き留めていたそうだが、「一日の事を寝てから案じてみれば、言ひそこなひ、仕そこなひ無き日はなし、難しいものよ」と語り、誤りが多すぎて際限がなく、最後は投げ出してしまったそうだ。「編集手帳」は、常朝の逆をいって、首尾上々出来事のみを「満悦記」に書き留めてみたところで、空欄ばかりで日記にもならないと書いている。確かに、毎日を振り返れば、それこそ「言い損ないや仕そこない」の連続で、時には失敗も重なって反省の種は尽きそうにない。有意義で満足のいく日々も無いではないが、書くに足る「満悦」を探すのも案外大変だろう。
「編集手帳」では、さらに人気が凋落した晩年の喜劇役者の古川ロッパの日記を紹介している。
「いやな奴への復讐、忘るべからず」「長屋に落ちても俺は殿様だ」と、ロッパは手のひらを返して冷淡になった友人知己に、ひとりペンを握って怒りつづけたという。彼の日記を称して、日記とはときに「憤懣記」でもあると書いている。
 いずれにしても、人生とは多くの喜怒哀楽、感動や悔いが入り乱れて成り立っているものである。時に日記は「残念記」にもなれば、「満悦記」「憤懣記」「感動記」ともなり、「感謝記」「決意記」や「報告記」だってあるだろう。読み返してみれば、若いころには見えなかった「何か」を発見できるかも知れない。余計なことは考えず、思うことを書き続けるのが「日記」というものなのだろう。






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