尾崎紅葉の『金色夜叉』の有名な一節
宮さん、こうして二人が一処に居るのも今宵限りだ。・・・
一月の十七日、宮さん善く覚えてお置き、
来年の今月今夜は寛一は何処で此月を見るのだか。
再来年の今月今夜・・・十年後の今月今夜・・・
いいか、宮さん、一月の十七日だ。
来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らしてみせるから」
(尾崎紅葉作「金色夜叉」から抜粋。説明に関係のない部分を適宜省略)
ここでいう今月今夜の月だが、月暦いわゆる旧暦ならば来年の今月今夜の月も、再来年の今月今夜の月も、常に十七日月(立待月)が昇りなんの問題もない。しかし、西暦ならば来年の今月今夜も、十年後の今月今夜も同じ月が昇るはずがない。
尾崎紅葉が『金色夜叉』を読売新聞に連載をはじめたのは明治30年(1897)1月17日で、この年の1月17日を調べてみると、旧暦では前年の十二月十五日でなんと十五夜、ほぼまん丸い月が昇っていた。文意からも、小説のシチュエーションとしても今月今夜の月とはこの満月を意識していただろうし、映画や芝居でも背景には当たり前のように満月を昇らせている。
因みに、来年と再来年、十年後の今月今夜の月を調べてみると次のようになる。
今年 1897/1/17 ⇒ 旧暦十二月十五日(十五夜・・・ほぼ満月)
来年 1898/1/17 ⇒ 旧暦十二月二十五日(二十五日月・・・有明の月ともいい、明け方に残る細い月)
再来年 1899/1/17 ⇒ 旧暦十二月六日(六日月・・・ほぼ上弦の月)
十年後 1907/1/17 ⇒ 旧暦十二月四日(四日月・・・三日月の翌日)
このように、来年の月も再来年の月も、十年後の月も満月とはほど遠い月である。「無粋!細かいことをいうな」とのお叱りを受けそうですが、明治30年といえば太陽暦が採用されて四半世紀がたっている。当時、旧暦のイメージが色濃く残っていたかどうか、今となっては調べようもないが、1896年に生まれた宮沢賢治の作品をひもとけば、月や旧暦の知識は相当なもので、さまざまなカタチでこれを表現している。しかし、尾崎紅葉が旧暦のこの常識を意識していたとは到底思えない。まあ小説のいわゆるレトリックとして読み流すのが賢明かも知れない。
とまあ、偉そうに書いてはいるが、私が月暦の制作を依頼された1998年頃まで、実はこの名台詞になんの疑いもなく読み流していたのだから「おはずかしい」限り。
研究書でもなく、たかが小説ではないかと思えども、この名台詞が示唆するものは案外暦を考える上でも、月を考える上でも大きい。
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