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 【2008年4月】
 ●クローバーフィールド/HAKAISHA
 ●船、山にのぼる
 ●つぐない
 【4月続き
 ●フィクサー
 ●パラノイド・パーク
 ●大いなる陰謀
 ●ラフマニノフ ある愛の調べ
 
4月続きその2
 ●ブラックサイト
 ●譜めくりの女
 
4月続きその3
 ●ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
 ●さよなら。いつかわかること
 ●NEXT -ネクスト-
 ●紀元前1万年
 ●スパイダーウィックの謎

●『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』★★★半
 (2007・米・2時間38分)4月26日公開

監督:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:ダニエル・デイ=ルイス
   ポール・ダノ


 何と言っても、ダニエル・デイ=ルイスの鬼気迫る凄演を存分に堪能すべき1作。
 この演技でアメリカぢゅうの演技賞を総嘗めし、今年2月のアカデミー賞(2007年度・第80回)でも主演男優賞の鉄板がちがち最有力と言われ、その通り順当に受賞した。
 開巻劈頭、デイ=ルイス演じる山師ダニエル・プレインヴューがひとり黙々と金鉱山の採掘をしている場面、まるでドキュメンタリーのように微細を穿つ描写でまったく台詞のないシーンが延々と続くのが、まさに息を呑むような緊迫感に溢れ、たちまち引き込まれる。
 原作は、社会派作家アプトン・シンクレアの「OIL!」(1927年)で、本邦では「石油!」の訳題で出ている。
 とにかく、石油掘りというのがいかに命がけの大変な仕事なのかが、実によく解る。
 かの『ジャイアンツ』(1956)で、たしかこれと同じ地域の石油採掘現場が出て来たけれど、それはジミー・ディーンが見事石油を掘り当てて噴出する場面だけで、そこへ行き着くまでの
労苦は殆ど描かれていなかったものだ。
 ポール・ダノ演じる牧師との対決は、決して善と悪との闘いなどという単純なものではなく、牧師のほうもかなり怪しい悪魔祓いなどで農民たちを教会に引きつけたりして、相当にいか
がわしい男だ。このダノの演技もなかなかの見もので、ルイスとよく拮抗している。 
 とにかく、デイ・ルイスの演技は文句無しのオスカーもの。実在のモデルが居るとはいえ、この男の狂気に満ちた凄まじさは、半端じゃない。
 これでは、同時にノミネートされたジョニー・デップがいくら歌で頑張っても、相手が悪いとしか言いようがないだろう(笑)。
 音楽のジョニー・グリーンウッドはレディオヘッドのギタリストで、近年は交響曲なども作曲しているそうだ。
 本作では、どこか『2001年』あたりを連想するような、リゲティばりのトーンクラスターや不協和音を聴かせ、一種グロテスクなまでの異化効果を生み出している。
 途中で、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の第3楽章がそのまま出て来るが、こっちは監督の意向だろうという感じがする。実際、エンド・ロールにも同じ第3楽章がまるごと使われているが、こういう既成名曲の使用もまた、どこかクーブリックを連想させるところだ。
 ただ、何故にブラームスのヴァイオリン・コンチェルトなのか、というのは、よく解らなかったが…。

●『さよなら。いつかわかること』★★★
 (2007・米・1時間25分)4月26日公開

 監督:ジェームズ・C・ストラウス
 出演:ジョン・キューザック
    シェラン・オキーフ


 邦題は、ちょっと口にするのが気恥ずかしいようなタイトルだが、原題は“grace is gone”(画面では全部小文字)「グレイスは行ってしまった」であり、夫婦と娘ふたりの4人家族が
、妻であり母親であるグレイスという一家の支柱をイラク戦争で失ってしまったことを、そのまま表題にしている。
 或る日、玄関に軍服を着た年配者が現れ家族の戦死を告げる、というのは、もう数え切れないほどの映画で描かれてきた場面だが、大抵は一家の父親か息子の戦死であり、それを聞かされるのは銃後を守る母親か妻と相場は決まっていた。
 本作ではそれが逆転し、いきなり遺族となってしまった夫のスタンレーは、茫然自失として身内に連絡も出来ず、仕事にも行けず、ふたりの娘に話しを切り出すことも出来ない。
 そんなダメ男を演じるはジョン・キューザックだが、二枚目で知的な印象のある彼ではキャスティングとして最適とは思えないものの、流石の演技で十全に応えている。
 戦争の最前線で女性兵士が戦闘に参加するというのは、戦史家によれば、第2次大戦のソ連軍が最初であったらしい。
 それ以外の国では普通、女性は従軍看護婦や兵站の補助、後方の事務といった配置が殆どで、第一戦に出て銃砲を撃ち合うことは無く、米軍でもヴェトナム戦争あたりまではそうだったようだが、やがて男女平等が権利だけでなく義務にも向けられるようになり、今や米軍人の14%は女性であると言う。
 そういう女性兵士の姿は、古くは『プライベート・ベンジャミン』とか、『戦火の勇気』『G.I.ジェーン』といった映画で描かれても来た。
 ただ、ここでは、グレイスの戦場での姿はおろか、彼女が軍服を着ている写真1枚出て来ず、イラクでの戦死の経緯を説明されるシーンすらも敢えてカットされ、いかにも涙を誘おうというようなベタな要素は最小限まで切り詰められており、これが長編デビュー作である新人監督のジェームズ・C・ストラウ
スは、恰も老練の如きしたたかなセンスを見せる。
 どうしても妻の死を受け容れられないスタンレーは、娘ふたりを遊園地への小旅行に連れ出し、後半はちょっとしたロード・ムーヴィーになる。
 このふたりの娘がとても好演。
 長女はまだ12歳半だが、とてもおませで、父親の異変から事態をうすうす察知しながらも、話しを切り出せない父の心情を逆におもんばかって、気付かないふりを続ける聡明さを持っているし、8歳の次女は食欲旺盛、明るく天真爛漫で、単純に遊園地行きを喜んでいて、姉とは好対照の性格付けが嵌っている。
 ラスト・シーン、母親の葬儀で長女がするスピーチが感動的。
 これは長く心に残りそうな佳編だった。

●『NEXT -ネクスト- 』★★
 (2007/米/1時間35分)4月26日公開

 監督:リー・タマホリ
 出演:ニコラス・ケイジ
    ジュリアン・ムーア
    ジェシカ・ビール


 原作はフィリップ・K・ディックの短編「ザ・ゴールデン・マン」で、最初SFマガジンに「金色人」という訳題で紹介されていて、ディックの諸作の中でもとりわけ印象深い傑作だった。
 今やディックの映画化は打率の高いドル箱であり、企画の俎上に乗ったままの小説はまだまだあるので、これからもスクリーンに登場してきそうだが、ディック本人は極貧生活を経たのち、初めての長編映画化である『ブレードランナー』の公開を観ることなく逝去してしまい(1982)、きょうびのブームを知ることも出来ずに終わっている。
 原作のジャンルはミュータントものだが、ここでは超能力もの(未来予知)だけに変えられており、そもそもジャンルそのものが違ってしまっている。
 だから原作の眼目である金色に輝く肌を持った長身美男の若者などは全く登場せず、ニコラス・ケイジ演じる冴えない中年の手品師が、2分間ほどの未来予知が出来るという理由で、対核テロル戦に巻き込まれて行く。
 ディック・ファンでもあるニコラス・ケイジは、自分から色々とアイデアを出してふくらませて行ったそうだが、逆に言えばそれだけシナリオの骨格が弱かったということになるだろう。
 未来が見えてしまう男の葛藤というモチーフなら、クローネンバーグの『デッドゾーン』(1983)あたりを想起するが、あれがヒットラーの如き危険な独裁者の誕生を命懸けで阻止して死んで行く悲劇だったのに較べ、本作は思い切り掟破りの捻った結末によって、テロリストの核攻撃を阻止出来るかどうかは保留され、つまりは悲劇になるのかハッピー・エンドになるのかさえも判らない。
 それにしても、この結末を見たシナリオ・ライターの多くは唖然として、「それをやっちゃあ、お終いよ」とつぶやくか、「遂にここまで許されたか」と内心ほくそ笑むか、どっちかなのではあるまいか。
 また、もし、かのヒッチコック御大がこれを観たら、真っ赤になって激怒するのではないか。
 とにかく、これまでヒッチ先生を始め多くのストーリー・テラーが、(いや、映画に限らず小説や戯曲にしても、多くの作家たちが)フィクションというものの有史以来営々として築いてきた基本的なルールを、ここまで破ってしまっていいのか、と慨嘆せざるを得ない。それも、安手のB、C級作品や素人の真似事ならいざしらず、れっきとしたメジャー作品において…。
 監督は、ドラマでもアクション映画でもどこか品格を感じさせるリー・タマホリだが、本作では、そこらの根本的な問題は如何ともし難く、職人的雇われ監督に徹している印象だ。

●『紀元前1万年』★半
 (2007/米/1時間35分)4月26日公開

 監督:ローランド・エメリッヒ
 出演:スティーヴン・ストレイト
    カミーラ・ベル


 臆面も無いパクリで知られるエメリッヒの新作は、原始時代が舞台だが、これは考古学や民俗学、言語学、生物学とかの科学的考証面からツッコミを入れることは無意味な、相変わらず考えることを忘れて楽しむべき娯楽映画である。
 だから、ここはオールCGで作られたマンモスやサーベルタイガーなどの出来映えに期待したいところだが、呼び物のはずだったマンモス狩りのシーンは、マンモスそのものの動きはいいとしても、狩猟の方法が意外に説得力無く、これでは一頭のマンモスも倒せないだろうと思わせるし、サーベルタイガーも『ナルニア』のライオンあたりと較べると、動きのリアルさなど一段落ちるという印象だ。
 後半、さらわれた婚約者たちを取り戻すべく戦うシークエンスでは、『スター・ゲイト』の異星の部族を連想させるが、こういう旧作焼き直し的な自己イメージの消費は、さしものエメリッヒにも枯渇の兆しが現れたか、と余計な心配もしたくなる(笑)。
 まあ、そこら辺は、多くの作家たちが苦闘しているところでもあるが…。

●『スパイダーウィックの謎』★★★
 (2008・米・1時間36分)4月26日公開

 監督:マーク・ウォーターズ
 出演:フレディ・ハイモア
    サラ・ボルジャー


 このところのファンタジー・ブームでは「世界」を股にかけたような大作が多いのに較べ、本作は殆ど1軒の家だけが舞台であり、そこからせいぜい徒歩圏の移動範囲内しか出て来ない。
 しかし、だからと言ってこれをスケールの狭い小品とは片付けられず、そもそもファンタジーというのは精神世界の無限の広がりを生命とするのだということを、改めて確認させてくれる。
 家族の設定は、きょうびのアメリカ映画によくある、両親の離婚によって母子家庭となった一家であり、母親と長女と双子の男の子の4人家族。
 もう家賃の高い都会には住めなくなった一家は、森の奥にひっそりと建つ古い屋敷に引っ越して来る。
 その屋敷は、大叔父さんであるアーサー・スパイダーウィックとその実娘である叔母さんがかつて住んでいた所で、大叔父はだいぶ昔に行方不明になったままであり、叔母さんのほうは養老施設暮らしで、今は住んでいない。
 子供たちは、さっそく屋敷の中を探検し始め、屋根裏部屋で「決して読んではいけない」というメモの付いた一冊の手書き本を発見。そこは子供の常として警告を守るわけは無く、禁を破ってシールを切ってしまうが、それこそ大叔父が残した「妖精図鑑」であり、まさに「パンドラの箱」を開けたも同然となって様々な妖精、怪物たちが解き放たれ、子供たちとの攻防が始まる…。
 どこかグレムリンを思わせるような凶暴な怪物たちは、殆どCGだが、今やクリーチャー創出の巨匠と呼ばれるフィル・ティペットが、さも楽しそうに作り上げている。
 ラストは定番の大団円には違いないのだが、単なる予定調和という以上に、ファンタジーらしい昇華に成功している。
 大叔父のスパイダーウィックを演ずるは、『グッド・ナイト&グッド・ラック』(2005)でオスカー・ノミネートのデヴィッド・ストラザーンで、こういう品があって知的な役にはまさにうってつけ。
 『チャーリーとチョコレート工場』の子役、フレディ・ハイモアくんが一人二役で双子の兄弟を両方とも演じ、そのお姉さん役で、『イン・アメリカ/三つの小さな願いごと』でも好演していたサラ・ボルジャーが、愛らしいところを見せている。
 フレディ・ハイモアくんは、この後、6月公開の『奇跡のシンフォニー』という音楽ものに主演していて、それもちょっと期待できそうだ。
(原題:THE SPIDERWICK CHRONICLES


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