太陰太陽暦と二十四節気
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太陰太陽暦(月暦)は月の運行を元にした暦で、季節との整合性を持たせるため、太陽の運航を加味した暦であることは前述したとおりですが、それでも、季節とのズレは厳然と残ったままです。
月暦では一月〜三月までを「春」、四月から六月までを「夏」、七月〜九月までを「秋」、十月〜十二月までを「冬」と定めていますが、たとえば、2004年の正月は1月22日から始まり、2005年の正月は2月9日から、2006年の正月は1月29日から始まるというように、毎年まちまちです。比べて、太陽暦では●月▲日といえば、毎年同じ季節になります。気温もその年によって、多少の違いがあるにしても平均することができます。
このようなズレを解消するため太陰太陽暦(月暦)では「二十四節気」が取り入れられています。
二十四節気とは、古代中国で成立したもので、当初、冬至を計算の起点にして、1太陽年を24等分した約15日ごとに設けられました。これを平気法または時間分割法といいます。しかし、地球の公転軌道は楕円であることと、太陽の黄道上での運行速度が一定ではないため、実際の春分点や夏至などにズレが生じていました。このため、中国では清朝の時の憲暦から、日本では天保暦から、黄道を春分点を起点とする15度ずつの24分点に分け、太陽がこの点を通過する時を二十四節気とすることにしました。これを定気法または空間分割法といいいます。従って、必ずしもその日数の長さは等分ではありません。
二十四節気の基本的な考え方は、実際の一年(1太陽年)をまず二至二分(冬至と夏至で二分し、さらに春分と秋分に二分した四等分)を定め、その真ん中に四立(しりゅう=立春、立夏、立秋、立冬の四等分)が定められ、これを八節と呼びその間隔は約45日間です。さらにそれを3分割したのが二十四節気となるわけです。
この考え方でも分かるように、二十四節気とは、太陰太陽暦(月暦)の太陽暦にあたる部分で、月の満ち欠け(朔望月)とは全く関係がありません。
また、この二十四節気をやり玉に挙げて旧暦の季節感を非難したり、疑問視する方も少なくありません。
その代表的なものが8月7、8日の立秋です。夏真っ盛り、「暦の上では秋ですが・・・」といったように、さも旧暦はおかしいといったニュアンスが込められています。確かに8月7、8日の立秋は早すぎるきらいはありますが、ここにはいくつかの勘違いと、誤りがあります。(参照)二十四節気と季節感
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二十四節気と太陰太陽暦
季節
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月暦(旧暦)
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節気
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名称
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太陽暦の日付
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太陽視黄経
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春
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一月
(睦月)
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正月節気
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立春
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2月4日 |
315 度
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正月中気
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雨水 |
2月18・19日 |
330 度
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二月
(如月)
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二月節気
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啓蟄
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3月5・6日 |
345 度
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二月中気
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春分
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3月20・21日 |
0 度
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三月
(弥生)
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三月節気
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清明
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4月4・5日 |
15度
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三月中気
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穀雨
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4月20日 |
30度
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夏
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四月
(卯月)
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四月節気
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立夏
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5月5・6日 |
45度
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四月中気
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小満
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5月21日 |
60度
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五月
(皐月)
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五月節気
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芒種
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6月5・6日 |
75度
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五月中気
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夏至
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6月21・22日 |
90度
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六月
(水無月)
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六月節気
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小暑
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7月7日 |
105度
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六月中気
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大暑
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7月22・23日 |
120度
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秋
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七月
(文月)
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七月節気
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立秋
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8月7・8日 |
135度
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七月中気
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処暑
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8月23日 |
150度
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八月
(葉月)
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八月節気
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白露
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9月7・8日 |
165度
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八月中気
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秋分
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9月23日 |
180度
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九月
(長月)
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九月節気
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寒露
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10月8・9日 |
195度
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九月中気
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霜降
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10月23・24日 |
210度
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冬
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十月
(神無月)
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十月節気
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立冬
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11月7・8日 |
225度
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十月中気
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小雪
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11月22・23日 |
240度
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十一月
(霜月)
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十一月節気
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大雪
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12月7日 |
255度
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十一月中気
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冬至
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12月22日 |
270度
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十二月
(師走)
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十二月節気
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小寒
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1月5・6日 |
285度
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十二月中気
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大寒
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1月20・21日 |
300度
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太陰太陽暦の月名の決め方(暦月と節月)と置閏法(メトン法、中国では章法) |
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●暦月
太陰太陽暦における1ヶ月は月の運行に基づき朔日から望を経て、晦日までとする区切り方です。この月を暦月といいます。各暦月の名称は二十四節気を基準に定められます。暦では正月・二月・三月を春、四月・五月・六月を夏、七月・八月・九月を秋、十月・十一月・十二月を冬としています。なお暦注において暦月による月の区切り方を月切りといいます。
上記表の節気で「中」が含まれる月がその月となります。たとえば、一月中の雨水を含む月が正月、春分を含む月が二月、同様に穀雨が三月、小満が四月というように決められます。この場合、二十四節気の周期に対して月暦は一カ月で1日弱短いので巡り巡りこの中気を含まない月ができてしまいます。この月を太陰太陽暦では月が決められませんから、後の月として閏月が入ることになります。
しかし、地球の公転軌道が楕円であることと、公転速度が一定でないため、定気法の場合、中気から中気の間隔が平均30.4日よりも短くなる場合もあり、時には一カ月に中気を二つ含むケースもまれにあります。この場合は、二至二分の春分が二月、夏至が五月、秋分が八月、冬至が十一月に入るように調整されます。
この考え方から、月暦の年の始まりは立春に最も近い新月の日が正月となります(一般的に立春正月という考え方があるのはこのためです)。従がって雨水が正月十五日以前にきたときは立春はその15日前なので、立春が前の年という事が起こりうるわけです。年内立春はそれほど珍しいことではありませんが、立春正月という考え方に立つと、違和感を感じるのでしょう。下の歌は在原元方の作で年内立春を詠ったものです。
年のうちに春は来にけり、一年を去年とやいはむ、今年とやいはむ(古今集)
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●2033年問題 |
閏月の入れ方を置閏法といいますが、太陰太陽暦がかなり正確になり、二十四節気の計算方法も定気法が採用された関係で、いくつかの例外規定が生じることになりました。月暦ファンの間では有名になっているのが2033年問題です。上記の規定だけでは暦月を決められなくなる(暦月の連続性がくずれる=九月の次が十一月?)のが2033年。詳細は「こよみのページ」に詳しいのでご参照下さい。 |
●節月
太陽黄経が30の倍数であるもの(春分・穀雨など)を中(中気)、そうでないもの(清明・立夏など)を節(正節、節気)といい、節気から次の節気の前日までの間を1か月とする月の区切り方を節切り、その月を節月といいます。前述したとおり暦月でみると立春が前の年になったり、閏月がはいったりして、季節にズレが生じてしまいます。しかし、節月でみれば、これは太陽暦ですから季節のズレは生じません。日本においては、この節切りによるものがよく使われ、季語の分類も主として節切りで行われていました。節月では、正月節(立春)から二月節(啓蟄)までが正月、二月節(啓蟄)から三月節(清明)までが二月、三月節(清明)から四月節(立夏)までが三月というようになり、立春から立夏までが春、立夏から立秋までが夏、立秋から立冬までが秋、立冬から立春までが冬というように四季が明確になります。
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●二十四節気と七十二候
このように、日本では太陰太陽暦の欠点でもある季節のズレを暦月と節月を使い分けることで修正していたのです。また、この二十四節気をさらに5日ごとに区切り、動植物や自然を表現する暦注七十二候、さらには日本独特の雑節(入梅や八十八夜、彼岸など)を暦注に加え、季節感や自然観を育んできました。
太陰太陽暦の季節感のズレを巧みに利用し、繊細な季節のたゆたい、鋭い感受性、謙虚な自然観を育んできた日本の風土は失いたくない遺産と言うべきではないでしょうか。
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